*表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬 / 若林正恭*

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

 

前作も読んだ上で、楽しみにしていた今作。
発売日に書店で購入。

 

ラジオで聴いた時から、興味深かったこのキューバへのひとり旅。
僕もひとり旅が好きなので、本書の発売を心待ちにしていた。

若林さんらしい、社会や社会問題、そして社会のシステムへの思いに共感したり、時には笑ったりしながらスラスラと本書を読み進めた。

 

しかし、7割ほど読んだところで、手を止めた。
これは、本の内容がということではない。
電車の中で読んでいて、目的の駅に着いた為だった。

いつもなら、その日のうちか、遅くとも次の日には続きを読み、読破する。
いつもなら、そうして読み終えるはずだった。

 

それから2週間、何故かこの本を開くことをしなかった。

 

実は、つい先日、祖母が旅立った。
その日の朝、連絡を受けて、荷物の中に本書を何気なく入れた。
そして、実家に帰るまでの電車の中で、本書を開いた。
何かをしていないと、車内でジッと過ごしていられないと思った。
何か別の世界に入り込んで、意識を集中させていないと涙がこぼれ落ちてきてしまうと思った。

 


そして、本書の終盤に差し掛かった。
完全に油断していた。
これが2週間ほど、僕が本書を開かなかった理由であると悟った。

 

本書の後半には、昨年亡くなった、若林さんのお父さんについてのことが書かれていた。そこで、若林さんがキューバに赴いた理由が明かされた。
涙を堪えきれなかった。

 

 

その後に出くわす、葬儀や火葬、そんなところにまで入り込んでくる経済には、なんとも言えない感情が芽生えた。怒りでもない、本当になんとも言えない感情だった。
若林さんもこんな気持ちだったのだろうかと、今になって思う。

 

僕も若林さんがそうであったように、1週間ほどたった今でも、祖母の旅立ちを悲しめていない気がする。
6年半ほど前に、祖母は倒れた。
その日から満足に会話をすることが出来なくなった。


帰って、祖母の顔に掛かっていた白い布をゆっくりとめくり、顔を見たとき、

もっと、病院に会いにいくべきだったな
会いにいって、声をかけてあげるべきだったな

色々なことが浮かんでくるけど、後悔していることばかりが次々に浮かんでくる。
もう少し時間がある、漠然とそんなことを思ってしまっていた。
心の準備など、させてくれなかった。
そんな時間も与えてくれないまま、その日は突然訪れた。


涙なしでは、本書を読み切ることは出来なかった。
本書を読み終えるタイミングはこの日であると決められていたんだと、振り返るとそう思える。だからこそ、手を止めさせたんだ。

オードリというコンビと出会うべくして出会い、好きになり、リトルトゥース(ANNのヘビーリスナー)になり、前作、そして今作にも出会うべくして出会ったのだと思う。


本当にお疲れ様。
僕が知らないような苦しいこともたくさんあっただろうし、
想像もつかないようなこともあっただろうなと思う。
精一杯生きた祖母を誇りに思う。
僕も精一杯生きなきゃと思った。

このブログを書きながら、また涙を堪えられなかった。
夏にひとり旅の予定がある。
忙しないこの東京、日本を離れて、
そこで、祖母との別れと真っ直ぐに向き合いたいと思う。
そこで、目一杯悲しむ。
そして、前へ進もうと思う。

祖母に見せたかった姿を見せることが出来なかったが、
これから精一杯生きる姿を空の上から見守っていてほしい。




 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬
 

 

 

 

 

 

松井大輔~日本の太陽~ Daisuke Matsui

 

 

 

2005年、11月16日。

東京、国立競技場。

 

僕が彼のプレーを生で観戦したのは、この日が最初だった。

31CUPの内の1つ。

A代表での唯一のゴールを観た。

 

決して、派手なゴールではなかったけど、

あのゴール、あのシーン、あの瞬間は脳裏に鮮明に焼き付いている。

 

ここでプレーしたいと思わせてくれたのは、あの日の国立での、あのゴールだったのかもしれない。

 

個人的には、A代表の10番は今でも俊輔だけど、俊輔以外だったら、松井に背負って欲しかった。

 

日本でも評価されているとは思うけど、もっと評価されていい選手だと思う。

 

彼の足元にボールが入ると、いつだってワクワクする。どうやって、相手DFを剥がすのか、どこにパスを通すのか、これだけワクワクする選手は、他にはいないと言っても過言ではない。

 

華麗なドリブル、華麗なテクニック、ル・マンでの試合を観て、当時小学生だった自分はすぐに虜になった。

 

そして、いつの日か気づく。

決して、体格が良いとは言えない彼だが、フランスの大柄な選手を相手にしても、遜色なく闘っていることに。

 

当時の僕は、トップ下を主戦場にしていて、フィジカルコンタクトを嫌って、なるべく相手と闘わないようなプレーをしていた。

 

 

身体が小さな僕が、チームで生き残る道は、それだと考えてやっていた。

でも、彼のプレーを多く観てからは、小さいなりにも、頭を使いながら、身体を当てるプレーを意識した。

今でも、フィジカルコンタクトは得意ではないけど、その後、海外でプレーすることになる自分にとっては、大きな気付きを得た瞬間だった。

 

 

彼といえば、遊び心のあるプレー。

Jリーグでも、アテナ五輪代表でも、A代表でも、リーグ・アンでも、どのレベルの試合でも彼は遊び心を忘れない。

サッカーを楽しんでいる。

これが、ファンを惹きつける最大の理由なのかもしれない。

 

 

組織の中にあって、

組織の中から飛び出していける。

個で勝負する。

日本という国では、なかなか難しいことかもしれないが、彼には、そんなことは全く関係ない。

献身的なプレーも出来て、個でも打開していける。

 

最近は、ジュビロでも出場機会が減ってきていて、そろそろ引退かなぁと、正直、思っていた。

 

その考えは、良い意味で裏切られた。

彼は、厳しい環境で、挑戦することを選んだ。

36歳で挑戦する決断ができること自体、素晴らしいことだと思う。

彼らしい決断だと思った。

彼にとっては、普通の決断だったのだろう。

そして何より、36歳で海外からオファーが来ることが彼の価値を表している。

 

 

実は、彼がレヒア(ポーランド)からジュビロに移籍するときに、入れ違うように、僕はドイツからポーランドに入った。

 

また、ポーランドに行って、今度は試合を観戦したい。あと何試合、松井大輔のプレーを観戦出来るのかは、分からない。

観れるときに、目に焼き付けておきたい。

 

 

 

Forza Daisuke !! 

 


中村俊輔も嫉妬した足技~ 松井大輔 スーパーテクニック&ゴール集 ●Daisuke Matsui Goals ●ジュビロ磐田


Daisuke Matsui 松井大輔


松井大輔 ルマン時代の奇術 Daisuke Matsui Le Mans

 

 

 

 

 

 

日本サッカーの未来 Vol.2 大島僚太 Ryota Oshima

 

 

 

第2回目の今回は、川崎フロンターレ所属のMF大島僚太選手を取り上げます。
僕自身、フロンターレサポーターなので、Jで一番試合を観ているのがフロンターレです。1度は、A代表にも召集されて、初キャップを飾りましたが、あの試合だけで、たった1試合で彼の能力を判断しないで、再び使って欲しいという気持ちが大きいです。

1年前、前の記事で取り上げた、中島翔哉選手らと共にリオ五輪の代表の主力として戦った選手です。結果を残すことは出来なかったですが、アジア予選から本戦までほとんどの試合を観ましたが、僚太はあの年代のチームで一人飛びぬけた存在で、別格のプレーをしていました。アジア予選の中であまり良くないゲームがあったのも事実ですが。本戦では一人別格だった、これは試合を観た見た方の多くが感じたのではないでしょうか。

 

・ 目次

 

 

 

 

 

 

 

所属する川崎フロンターレでの立ち位置


僚太は、静岡学園から川崎フロンターレに入団してから、コンスタントにゲームに出ています。リオ五輪の年代の中では、トップクラスの経験があります。それも優勝争いをするチームの中で主力として戦っているのです。僚太がいるのと、いないのではフロンターレのサッカーが変わってしまうほど重要な選手です。その実力と期待が今季から背負っている背番号10に表れています。

 

 

ウィークポイントと意識の変化

 


主にボランチとしてゲームを作れる選手です。そう、今の代表に一番足りないピースです。今のA代表の守備的な中盤の構成には未来を感じない。それが率直な気持ちです。少し大人しい性格なのが、ハリル監督にも指摘されましたが、リオ五輪以降、フロンターレのゲームでも大きな声を出す場面が増え、気持ちを出す場面も見られるようになりました。これは世界の舞台で感じたものが、彼の意識を変えさせたのでしょう。ただ、どんな時も冷静に、淡々とボールを捌いていくのが彼の良さでもあるので、そこは貫いてほしいところではあります。

また、守備が出来ない、そんなイメージがあるかもしれませんが、そんなことはありません。ボランチとして攻撃の目を摘んだり、危険なところを察知して戻るなど、守備面でも向上がみられます。

 

 

彼の魅力

 

彼の最大の魅力は、ピッチ全体を見渡せる広い視野と、それに応じた状況判断の速さ、ゲーム全体を見通せし、流れを読む力、そして、何より技術の高さだと思います。さらに、良いミドルシュートも持っています。

 

基本技術の高さ


個人的に技術は、フロンターレで、そして、同年代で一番の選手だと思います。日本全体でもトップクラスの技術を持っていると思います。何より、止めて蹴る、この基本の技術は一級品だと思います。そこにメンタル的な成長が追いついてくれば、遠藤保仁選手以上に代表に欠かせない選手になる、そんな期待をせずにはいられません。

 

 

忘れられない1試合

 

忘れもしない、W杯のアジア最終予選の初戦、僚太がスタメンで起用されたあのゲームです。ホームでUAEに1-2で敗れ、その二つの失点に絡んでしまったために、その2つ以外のプレーは全く目を向けられることなく戦犯扱いを受けました。

確かに1失点目のフリーキックを与えたプレーの前のパスミスはありましたが、吉田選手の不必要なファールの方が問題だったと思いますし、2失点目のPKについては、確かにファールを与えてしまったのはいただけませんが、その前に自陣でポカをしてボールを奪われた長谷部選手の責任もあるはずで、もちろん、彼に非はあるものの、彼だけが批判の的になっていたのは当時も納得がいきません。

 



見向きもされなかったプレー



この2つのプレー以外に目を向けてみたいと思います。初キャップでの大舞台でしたが、緊張して硬くなることもなく、冷静にボールを捌きながら、縦パスを狙っていました。正直、彼のようなパスの出してにしてみれば、合流して日の浅い中で、前線の選手の動きに合わせてパスを出すのは、至難の業ですが、彼はよくやったと思います。これらのプレーは2つのプレーで見向きもされなかったのです。

 

その後、吉田選手が自分のミスを棚に上げ、僚太はパススピードが遅いなどと批判をしていましたが、代表の退屈なサッカーよりもフロンターレの方がパススピードは速いですし、受け手に止められるレベルを見極めて僚太は出していたのではないかと感じました。もちろん、ゲームの状況に応じて、パススピードが変わってくることが前提ですが。

 

 

遠ざかったA代表の舞台



あのゲーム以来、怪我の影響もありましたが、一度も招集されず、今日に至ります。あの1試合で彼の能力に見切りをつけたのだとしたら、とても残念なことです。初キャップが最終予選の初戦であったこと、いろいろと言いたいことはありますが、いつかこれが笑い話になるくらいの選手になって行ってくれることを望みます。

 

 

再び蒼いユニフォームを、そしてロシアのピッチへ

 

 

A代表の中盤の序列に割って入っていって欲しい、いや、入っていくべき選手だと思います。もちろん、簡単なことではないというのは理解していますが、ロシアのピッチに立てるだけのポテンシャルを彼は持っています。現時点で代表のボランチに当確の選手は一人もいないと思います。あと1年でロシアW杯、まだ出場権は獲得できていませんが、ロシアのピッチでは、彼に日本のサッカーの舵を切ってもらいたい。


フロンターレの僚太から、日本の大島僚太

 

フロンターレでは、もはや、欠かせない選手となった。次は、日本代表チームの中でその立ち位置を築きたいところ。リオ経由ロシア行き、その切符を手に入れられるか、飛び乗れるかは彼次第だろう。フロンターレで安定したパフォーマンスで、フロンターレを優勝に導くことが、A代表に繋がることだろう。

 

ポテンシャルは申し分ない、もう一つ、二つ上のレベルに行くために、殻を破って欲しい。日本サッカーの未来のために、そして、何より彼自身のために。

 

 

 

 

 


【U23】大島僚太タッチ集 日本1 0スウェーデン オリンピック Ryouta Oshima vs Sweden 08 11 2016 720p


大島僚太 2014-15 プレー集 Ryota Oshima goals, assists and skills

 

日本サッカーの未来 Vol.1 中島翔哉 Shoya Nakajima

 

 

 

 

前々回から書き始めた日本サッカーの未来と題した記事。
今回からは、これからA代表入りはもちろんのこと、日本サッカーの未来を背負っていくであろう選手たちを取り上げた記事を書いていきたいと思います。

第1回目は、各世代の代表にも名を連ね、昨年のリオ五輪で10番を背負った、FC東京所属の中島翔哉選手。


翔哉は同級生で個人的に少し関わりがある選手であるため、ジュニア世代の時から知っている。そのため、この年代の選手の中では一番といっていいほど情報が多い。

ヴェルディの出る杭を打たない育成の中で頭角を現し、五輪代表まで辿り着いた。だが、彼の目指す場所はまだまだ遥か先だ。


・目次

 



 


所属するFC東京での立ち位置

 

 

現在所属するFC東京では主に中盤の左サイドのポジションで起用されることが多い。しかし、個人的には、サイドよりもトップ下で使って欲しいと思っている。翔哉の良さは、サイドではなく真ん中でこそ120%発揮されると思うからだ。もちろん、フルで走りきれるスタミナがあるため、サイドで使いたい篠田監督の気持ちも理解できなくはないし、チームの戦術や事情もあるため、一概に批判は出来ない。

 

 

意識の変化

 


最近は、周りを使おうとする意識がプレーにも表れていて、パスを効果的な場所に送れるようになってきたが、ゲームメイクをするタイプの選手ではないため、トップ下に置きにくいのかもしれない。しかし、FC東京がトップ下を配置したシステムの際に、そこに配置されるのは東慶吾選手で、この選手もゲームメイクというタイプではないので、だったら翔哉を起用して欲しいと思ってしまうのだ。

 

翔哉の魅力



翔哉の最大の魅力は、怖がらずに前を向けることだと思う。ドリブルに目を向けがちだが、実はこれが最大の魅力だと僕は思っている。ゴールへの意識が自然とそうさせているのかもしれないが、これは結構、難しいプレーだと思う。

たとえば、ゴールに背を向けた状況でDFラインやボランチから縦パスが入り、後ろから相手選手がプレッシャーに来た場合、そのまま自陣側にトラップをするか、後ろにボールを下げるプレーを多くの選手が選択するだろうし、実際にゲーム中に多く見受けられる。しかし、翔哉はそこであえて前を向くプレーを多くの場面で選択する。このプレーはリスクはもちろんあるが、相手にとっては嫌なプレーだと思う。剥がされればピンチになってしまうからだ。

 

 

見え隠れするリスクと使いにくさ

 

先ほども述べたように、このプレーの選択はリスクもある。DFラインからのビルドアップのボール、スイッチをいれるような縦パスは、チームの重心が少し前に傾くため、そこでボールをひっかけてしまうと大きなピンチを招いてしまうからだ。

 

 

日本で受け入れられづらい理由


監督によってはこういったプレーを嫌うことがあるし、ましてや、規律を重んじる日本のサッカーでは、受け入れられづらいのだろうと考える。しかし、僕は彼はもっと評価されるべき選手の一人だと思っている。真ん中で一人剥がせれば、大きなチャンスになる。例えば、10回チャレンジしたとして、2回成功すれば素晴らしいチャレンジだったと言えるのではないか。日本のサッカーは、2回の成功よりも、8回の失敗にどうしても捉われる傾向にある気がする。これは、日本のサッカー界だけでなく、日本の社会に見受けられる傾向だと感じる。


それでも、彼は己の信念を曲げずにチャレンジすることを辞めずにここまで来た。オリンピックの代表では、手倉森監督(現A代表コーチ)は良く使い続けてくれたなあと思う。テグさんは、翔哉の未来まで頭に入れたうえで、良さとそして、翔哉のチャレンジを理解してくれていたのだと思う。

 

 

 

A代表への道と、足りないもの



仮に今、彼がA代表に入ってもメンタル的にも、技術的にも遜色なくスッと入れると思う。それは断言できる。しかし、ハリルが招集を決断するには、今一つ目に見える結果が足りないのも事実だ。

 

 

FC東京での葛藤

 

所属するFC東京のサポーターには大変申し訳ないが、東京のサッカーはあまりに彼には可哀想だと思う。1試合1試合で継続性がなく、格下のチームとの対戦では個の能力で内容が良かったように見えるが、実力が同等や格上との対戦では、個だけでは戦えず、丸っきりチームとして機能していない。昨シーズンもチームが上手くいっていない中で、翔哉が孤軍奮闘する試合が多く見受けられた。ただ、次の移籍は、海外へのステップアップだろうから、翔哉はここから逃げずに闘い続けるだろう。

 

 

 

世界に羽ばたく背中を



個人的な希望も含めたうえで、ここまで書きてきたが、これからもサッカーを楽しむ翔哉を応援したい。僕が歩めなかった道を彼は歩んでいる。今年の冬、欧州の移籍市場で"中島翔哉"という名前が飛び交うことを期待しつつ、彼のチャレンジを見守りたい。


袖を通さなければならない蒼いユニフォームがある。
大歓声の中で蒼の背番号10を背負った中島翔哉のプレーを観られる日を楽しみにしたい。

 

 


Shoya Nakajima 中島 翔哉 /FC Tokyo/ Skills Assists & Goals /2016-2017/ HD


Shoya Nakajima 【中島翔哉】2011〜2016 Goal & Assist Age:22 東京ヴェルディ1969 /FC東京